Martes, 20 de Febrero de 2018 |
日系社会の陸上選手と50年になる日系デポルティーバ コンフラテルニダについて |
Escrito por 比嘉ディエゴより
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永遠に賭ける。"証言" 陸上競技者の経験と体験またスポーツ指導者としての記録
アルゼンチン国での日系社会の歴史で陸上競技は、長い間中心的な事として特に五十年代から八十年代に掛け年間でも最も重要なエベントの一つでで多数の人が集まりピクニックと共に家族やチームの同僚や友人が参加するスペクタルなスポーツであり、この伝統は、時間と共に一定の変化は有っても本質を失う事無く現在に至っている。
七十年代も半ば頃から日系社会では二月に入ると、つまり洗濯業ではバカシオンに入り、この時期に行うスポーツの練習も単なる家族の集まりでは無くなり、毎年年末に行われる競技大会で大衆の前でバフォーマンスを示す為に日系の陸上選手は、ほとんどプロフェッショナルの様なカレンダーを組み練習に励んだ。 このような状況の中で、「永遠に賭ける」の本(2017年11月発行)の中に日系社会で自分の人生を賭けたスポーツの思考や経験や体験と共に日系コンフラテルニダ デポルティーバの個人的なスポーツの経験を記録に残す必要が有ると思った。 多くのアマチュア選手は 日系パンアメリカン大会とも言えるコンフラテルニダ大会に参加しアルゼンチン代表として出場する事を夢見る、これは"ワールドカップに出場する"フットボールの選抜選手や黄金の世代とも言える女子ホッケーのラレオナ、ラグビーのプーマ、オリンピック大会でメダリストとなり国歌と自国の色を守る事と同様な意味が有る、。 コンフラテルニダでの体験は、スポーツ選手の中でも神秘的な物と語り継がれている。1968年以来沢山の人々が参加してきた。 アルゼンチンを守る自負心、スポーツの鍛錬から生まれた親交の真価、また我々の為に犠牲を惜しまず尽くして下さった方々により目的達成が実現した事に対し感謝の心情を 「永遠に賭ける」を通して綴ってみた。 この様にして証言の言葉には2重の意味が有り、一つは、参加者がコンフラとナレーションされる物とは、つまり新世代の指導者や選手へ永遠に与えるパスの役目を行う道具、そして もう一つは、スポーツには献身と情熱から素晴らしい物語が常にあり、これは多数の本に語られている。
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