Jueves, 20 de Octubre de 2016
イポリト・イリゴージェン大統領着任より100年

10月12日はイポリト・イリゴージェンの大統領着任の100周年だった。イリゴージェンはUCR(ウニオン・シビカ・ラディカル)党のリーダーで創設者、国民投票により初めて選出されたアルゼンチン国民の大統領である。中流階級の家族に生まれたイリゴージェンは法学部を卒業したが弁護士にはならなかった。1916年に初めて大統領に着任、新しいタイプの国家主義の大統領として注目された。もちろんそれはそれまで政権についてきた上流クラスの保守派大統領に打って変わって選出された大統領であったからでもある。

そのために歴史上では庶民派の初の大統領として記憶されている。1928年に再び大統領に選ばれたが1930年代のクライシスに直面。1930年9月6日にホセ・フェリックス・ウリブルによるクーデターが起こった。大統領が退陣する少し前に石油を国営化しようとしていたが、それがクーデターの発端だともされている。歴史家によるとイリゴージェンは厳格だが控えめな人格であったが同時に教育に関しては大変熱心であり教鞭をとったこともあるという。大統領として、約50もの学校(国立、工業学校、商業学校、芸術、技術学校)を作った。これ依頼、技術系の教育、また成人教育が重視されるようになった。フアン・マヌエル・デ・ロサス、イリゴージェン、フアン・ドミンゴ・ペロンらが彼と同様の国家主義を貫いた。イポリト・イリゴージェン大統領は1933年7月3日に死去。アルゼンチンの歴史に残る大勢の国民が通夜には集まり、棺台をレコレタ墓地まで運んだ。