Jueves, 13 de Octubre de 2016
民主主義とアルゼンチンの貧困

公式な数値を発表しないまま3年が経過した今、数週間ほど前にINDECは今年の第二四半期、32.32%のアルゼンチン国民が貧困に陥ってると発表した。マウリシオ・マクリ大統領は解決すべき深刻な問題だと認識しており、「私たちは現実を理解している。貧困率を減らすことは大統領としてまずやるべき問題と認識している」と語った。

そこで1983年民主主義が戻ったあとの大統領らがどんな対策を取ってきたかを振り返ってみたい。INDECはこの数値について1988年より発表しているが、複数のデータからリカルド・アルフォンシン大統領政権下の初期に貧困率は減少しているが、後期には再び貧困率は増加している。
1982年10月(アルフォンシン着任の一年前)にブエノスアイレス大学はブエノスアイレス州の貧困率は21.6%(住宅)であったが、1985年同月には14.2%に減少している。
1989年5月には19.6%の住宅が、同年10月には38.3%まで上昇している。
個人の貧困はOrlando J. Ferreresコンサルタント会社によると1980年の8パーセントから1985年には16%に上昇している。アルフォンシン政権後期に個人の貧困率は40%に及んだ(1989年は39.8%、1990年は41.3%)
カルロス・メネム大統領下でブエノスアイレス州の貧困層はINDECによると1989年10月時点で47.3%を記録。1995年には22.2%だった。しかし再びメネムが政権に就くと貧困率は再び上昇した。
1999年フェルナンド・デ・ラ・ルアが当選した選挙の月には、26.7%を記録。2001年には35.4%までに及んだ。2002年5月(三人の大統領の交代があった後)、貧困率は上がり続け49.7%に及んだ。2003年5月ドゥアルデからネストル・キルチネルに政権が変わった時期には51.7%と記録されている。キルチネル政権はこの数値を下げることに成功している。2006年第二四半期には全土で26.9パーセントまで減少している。クリスティーナ・キルチネル政権下でのデータは複数のデータベースを参考にする必要がある。2007年に統計の改ざんがあったほか、2013年より貧困率データを発表することを停止した。2007年12月クリスティーナ・キルチネル大統領はCTA(アルゼンチン労働者センター)によると8%減少に成功し、数値は29.6%まで落ちたという。しかし2011年と2015年には様々なデータがあり、CTAによると29.7%と変化なしと発表、カトリック大学のアルゼンチン社会負債展望センターによると2011年の24.7%は2015年には29パーセントまで悪化したとされている。